毎週水曜日の更新
こんにちは。あっこです。
今年の夏は、災害級の暑さと何度聞いたことか。奈川も暑かったですね。
災害級、災害と聞いて時折思い出す“58(ゴーハチ)災害”。
昭和58年の大雨による災害の事。私は当時15歳。
ちょっとここに書いておこうかなと。
昭和58年、9月28日。連日の雨。
当時は秋のお休み(稲刈り休み)が5日くらいあって自宅にいました。
妹のお友達が遊びに来ていたけれど、雨が強くなったから予定を早めて帰ったことを覚えてる。
子供心にこれは何か大変なんだと感じた。
県道26号は水没記念碑の先で土砂崩れ、境峠も同じく。どっちの道も通れない。
28日の夜は、仕事で父の会社に来ていた人たちが何人か泊まった。
その後の新聞で見た。陸の孤島、孤立状態になっていた。
おびえる雨音だったことだけ覚えてる。
その日、奈川村(当時)のあちこちで、堤防が決壊したり、土砂崩れ、道路が壊れ、流され…いろんなことが起きていた。
翌朝、雨は上がった。
自宅横の製材所の裏から、現在の忠地川あたりを広く見ることができるので、見に行った。
ただの、大きな大きな川になってた。石や土砂、流木がいっぱい。私の脳裏の写真はそれだけ。
奈川の道路はあちこち寸断されているから、どこへも行けない。当時の奈川の様子は後の新聞などで見た。
9月29日の朝。尋常ではない被害らしい。
当時村会議員だった父は、被害の全容を確認する為に当時の嶋口村長さんと出かけた。
道路は寸断されており車で移動はできないから徒歩で。泥だらけになって帰ってきた様子を見て、被害の大きさを感じた。
国の激甚災害の指定などによりものすごいスピードで、その後2年くらいで奈川村はほぼ前の姿に戻ります。
激甚災害、ここ数年の日本でも時々聞きます。
激甚という言葉を聞くたびに、58(ゴーハチ)災害のことを思い出します。
あの雨音を、外の空気の感じを、怖かったことを忘れてはいけないなと思います。
みんなに伝えたいのは…
これは、今は亡きおじいさんやおばあさんが言ってたよ、の昔話ではなく私のわずか55年の人生の中で起きた災害です。
気象変動の激しい昨今、私が経験したついこの間の事を話すことで、ごくごく身近なこと、明日あるかもしれないこと、そんな風に感じて備える気持ちにつなげてもらえたらと思いここに書きました。
美しい奈川の自然を見ていると、つい忘れそうですけれどね。
ここでついでにお伝えします。
製材所のパン屋店舗には、太陽光発電で電気を作ること、電気を蓄電すること、蓄電した電気を供給(店舗建物内に)できるしくみがあります。
あってほしくない災害ですが、万が一の時、電気と石窯のパンで力になれることがあるかもしれません。覚えておいて頂けたらと思います。
【更新頻度】毎週水曜日+伝えたいことがあるとき
製材所から忠地川あたりを望む
たのかやの畑の景色
元気と秋の空