「…べき」という言葉

幸せな事
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毎週水曜日の更新

おはようございます。あっこです。

コロナに翻弄される世の中になり、きっとこれからもコロナと生きていく世の中だろう。

みんな共通して感じただろう事の一つ。

今まで当たり前と思ってたことは、決して当たり前ではない。

それまでに行っていた世の中のかなりの割合の事柄ができなくなったりして

衝撃を受けたし少なくとも世の中的にマイナスだよなと感じていた。

その後、コロナ渦の時間経過の中でその世の中は徐々に変化したと思う。

今までの当たり前はむしろ特別。

今の時代に合わせて方法を考えればいい。

“決まりきったもの“みたいなものを排除したら、物事は徐々に変化し新しい世の中って自然に作られていくんだなあと感じた。

いろいろが変化した。

でも”決まりきったもの“からの解放感というか、今までと違うことを受け入れていく世の中に変化していくことを感じた。

その変化を人間も受け入れていく。

コロナ時代の苦しさから一転、もちろん苦しさもあるけれど何となく一筋の光が見え、逆に新しい時代へのワクワク感も感じた。

そんなころ、どこかで聞いた言葉が胸にとまった。

何となく見ていたテレビ。

人間の考え方の中から、「…すべき。」「…するべき。」っていう考え方を取り去ってしまえば、人はもっと楽に自由に生きることができる。

人が苦しいと思うことの原因。

それは、ほぼほぼ自身の「…べき。」という考え方から生まれている…ていうようなことを言ってた。

その言葉は自分の中にストンと入った。

「べき」は私を苦しめていた。

自分の過去や今の心の中、この言葉でぐるっと考えてみたらなんだかとても楽に生きることができる気がした。

「べき」を捨てよう。

それから、「べき」とセットで使う、普通、一般的、平均、ほかの人はこうとか、そのあたりの言葉もセットで捨てたらもっといい。

100人いたら100通りの人や生き方がある。

人は多様だ。

人の「べき」なんてない。

多様なことを際立たせたのも実はコロナ渦だった。

苦しいと思ったときは試しに「べき」を捨ててみて。

コロナの苦しさを糧に、優しい日本になれるといいね。

【更新頻度】毎週水曜日+伝えたいことがある時