あのとき僕は

幸せな事
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毎週水曜日の更新。

今週はおちです。

月曜日の夜、息子に「お母さんブログの順番廻って来たけど何を伝えようかなぁ」と呟いた。

息子は最もらしく…

「皆さん、まだまだ寒い日が続いていますが、春ももうすぐですね。春になったら子どもたちが元気に外で遊ぶ声が聞こえてきますね!楽しみですね!」

と、ゲームを手にしたまま、順番が廻ってきた母に助け船を出してくれた。

(説得力がないから却下!だが、ちょっとばかり勿体ないので掲載してもらいます…)

さてさて、本題に戻り、今回は以前にも市民タイムスの土曜日のコラムで掲載されていた『あのとき僕は』について記そうと思う。

出勤前に市民タイムスのテレビ欄と、お悔やみ欄と、気に入ったコラムは目にする私ですが、

この『あのとき僕は』の初回の掲載を偶然目にした時に、「これって、何処って言ってないけど、絶対に奈川のことだ!」と思った。

毎週土曜日のこのコラムは懐かしい昔の奈川の暮らしや行事、風景の中で著者が感じたこと、体験したことを、読み進めながらこどもの時の自分や、村の様子を思い出す。

(著者より一回りほど後輩であるので、私が知らないこともあるが、大抵のことはそうだったよねぇと思えることばかり)

読み進めていくと、山里での生活から大都会のように感じた松本へ引っ越して、沢山の人のなかでいろんな体験をしたり、いろんな感情を抱いていく姿にも、高校進学と同時に家を離れた自分を重ねた。

「どこチュー?」

「ナガワだけど、知らないでしょ」

「ドコソコ?」

当時は南安曇郡だったから、市内の同級生はナガワなんて全く知らなかった。

そんな私の小中学校生活の頃よりももっともっと小さな集団の中にいる今の子どもたちに、大きな世界をみてほしくて、

見たからこそ分かる奈川の良さがあるんじゃないかと信じて、待望の書籍になったシェルパ斉藤、斉藤正喜さんの『あのとき僕は』を奈川の子どもたちに是非読んでほしいと思う。

私は気がつかなかったけれど、左ページに小さく描かれているイラストは、パラパラマンガ風になっていると、文章を読んでいない息子が教えてくれた。

【更新頻度】毎週水曜日+伝えたいことがあるとき